次女の「だいすきなせんせい」

 

 

異動の春。辞令の春。

転勤が、決まった。

 

毎度毎度のことながら、突然の辞令と引っ越し指令で心の準備をさせてくれない会社である。

この10年で、九州から関東へ、関東から九州へ。

そしてまたまた、九州から関東へ引っ越すことに。

 

なんともあわただしい日々。

よくもまあ3姉妹が文句を言わずについてきてくれているなあと感心する。

 

今まで繰り返してきた引っ越しのなかで、3姉妹が文句や愚痴を言ったことは一度もない。

まだ小さいからかと思っていたけれど、同じく転勤族の友人の子供たちは保育園のころから「先生のことが好きだから引っ越したくない」と泣いていたので、この辺りは個人差があるらしい。

そういう意味では、我が家は楽な方なのかもしれない。

ただ、何も気になることがないというわけでもない。

 

 

 

今までの引っ越しで唯一、「本当にこれでよかったのかな」と思ったのは、次女が年長になる前に引っ越したときだ。

 

幼稚園には年少さんよりも一足早く入園できるプレスクールという制度がある。

次女がプレスクールから年中までお世話になった幼稚園。

次女は、ひとりの担任の先生に特別思い入れがあった。

 

3歳当時、舌足らずで、周りの子と比べると発語がゆっくりめだった次女の発する言葉は、わたししか解読(理解)できなかった。父親である夫もまったく理解できずにわたしに助けを求めてくるほど。

 

そんな次女の言葉に根気よく耳を傾けて理解してくれたのは、その先生だった。

 

最後の登園の日、わたしは思わず「次女には、先生から卒園証書を受け取ってほしかった」という本音とともに涙が出てしまい、先生といっしょに泣きながら抱き合った。

 

「いつでも会いに行けるからだいじょうぶ」だと泣かなかった次女。その直後にコロナ禍に突入して簡単には会いに行けなくなってしまうとは夢にも思わなかった。

会社に無理を言ってでも、卒園するまで異動を待ってもらえばよかったかなと、ふとしたときに頭を過ぎっていくことがある。

 

「次女ちゃんは、どこに行ってもうまくやっていける子です。大丈夫です!」と先生に太鼓判を押してもらった次女は、今日も元気に学校へ通っている。

 

今も次女が年賀状や手紙でやり取りをしている先生に、はやく安心して会える日がくるといいな。